秋ですね。運動会シーズンですね。
運動会といえば、PTAが大活躍!! 運動会の受付に始まり、テントの設営・片付け、不審者の警備、放置・駐輪自転車の注意、来賓客への接待、そして極め付きの、誰得PTA競技です。
運動会当日は主役の子どもたちはもちろん、先生方もいろいろお忙しいと思うので、PTAの方である程度のお手伝いをするのは一向に構わないのですが、
の3点は、何だか腑に落ちません。そこで今回は、PTAによる、放置・駐輪自転車の注意について考えてみたいと思います。
運動会に自転車で来るのはどうしてなの?
そもそも保護者が学校まで自転車で来なければ、PTAによる、放置・駐輪自転車の注意係なんて必要ないはずです。
うちの学校では、運動会に限らず、保護者会や学校公開など、緊急時を除いて、自転車では来校できない決まりになっています。それぞれの行事の案内には、必ず、注意事項の一つとして、自転車での来校を禁止しています。それでも、必ず、自転車で来校する保護者はいるのです。これは、どうしてなのでしょうか。
徒歩だと遠すぎる
確かに学校までの距離が遠いご家庭もあるかと思いますが、子どもたちは毎日、その遠い距離を行きも帰りも歩いています。小1の子どもたちにだってできることが、なぜ大人にはできないのしょうか。
みんなやっているから大丈夫
こういうときって、「みんなやっているから大丈夫」という、赤信号みんなで渡れば怖くない~みたいな集団心理が働きますよね。でも、その「みんな」でやってしまっているから、近隣から苦情が来てしまうのです。
禁止されている自転車で、どうして運動会に来たのか聞いてみた
学校までいつも自転車で来る人って、だいたい同じ人の場合が多いのですが、ご本人に直接その理由を聞くのは、いくら空気の読めない私でもかなりハードルが高い……。しかし!! 今回、そのご本人に、理由を聞くことに成功しました。
なんと、うちの近所に住む姑が、運動会に自転車で来ていたのです!! というわけで、空気を読まずに姑に直接、理由を聞いてみました。ご興味のある方は大変恥ずかしいのですが、姑と私の会話形式でご覧ください。(ほんと恥ずかしいわ……)
理由1:そもそも案内の注意事項なんて読んでない
私「あれ? お義母さん。自転車で運動会に来ちゃ駄目なんですよ~」
姑「あら、そんなこと書いてあった??? 気付かなかったわ~」
私「ちゃんと書いてありますよ~ ほら、ここに」
姑「あら、ほんと。気付かなかったわ~」
あくまでも気付かなかったと言い張る姑。きっと老眼で目が腐っているのでしょう。
理由2:学校の隣の公園に駐輪すれば、迷惑にならないし、バレない
姑「でも私、学校に止めるんじゃなくて、そこの公園に止めようと思ったのだけど」
私「近隣の迷惑になるんで、公園にも止めないでくださいね~」
姑「でも、そこまでは書いてないじゃないの。バレやしないわよ」
私「まぁ確かに、そこまでは書いてないですけど、駄目なんですよ~。わりとみんな見てますよし」
学校に止めなければ大丈夫!! バレなければ大丈夫!! という、その自己中心的な発想。ほんとないわ~……。
理由3:いつも自転車で来てるから、大丈夫????
姑「でも、私いつも自転車で来てるけど、何も言われたことないわよ」
私「だから、駄目なものは駄目なんですって!!! とりあえず、この自転車は私がうちに置いてきますので!!!!! お義母さんはどうぞ先に運動会見学なさっててください!!!!!!」
結論。こういうマナーのない人種とは、何を言っても話にならない。
姑の家と私の家は距離は近いのですが、仲はあまりよろしくないないので、わざわざ一緒に待ち合わせて、わざわざ仲良しこよしで運動会に行ったりしません。
というわけで、姑が毎回自転車で学校に来ていたとは全然知らなかった私ですが、今回はたまたま自転車を公園に止めようとする姑を目撃したのでした……。確かに、姑の家はうちよりも学校まで少し遠いけれど、まさか自分の身内が禁止されている自転車で、学校に来てるとは思わなかったよ。(ほんと恥ずかしいわ……(2回目)
どうしたら、自転車での来校を無くせるのか
これは簡単なようで、とても難しい問題です。うちの姑のように、どんなに注意されようが、やる人はやる。ですが、この問題を解決することができれば、PTAによる、運動会時の放置・駐輪自転車の注意の仕事はなくすことができます。
この問題は、結局のところ、個人個人のマナーに頼らなければならないのが現状です。
でも、私たち一人一人がきちんとマナーを守って、気持ちよく子どもたちの運動会を応援することができれば、PTAによる、運動会時の放置・駐輪自転車の注意の仕事は、やらなくてよくなります。そうすれば、その仕事をやらなくてよくなった分だけ、子どもたちの運動会をより多く、応援することができます。
自分たちで自分たちの首を絞めてしまっている状況に、私たちはもう少し、目を向けてもよいかもしれません。