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PTAなんていらないと思った6つの瞬間【PTAいる?いらない?】

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あなたはPTAはいると思いますか? それとも、いらないと思いますか? どちらかというと、ないよりあった方がいいのは、わかるんですが、それでもPTAがいらないと思った瞬間はありませんか? 

そこで今回は、私が個人的に、PTAなんていらないと思った6つの瞬間について、書いていきたいと思います。

 

その① PTAの役員・委員決めで立候補がなかったとき

PTAの役員・委員がどれもスムーズに決まったことってありますか? 私の経験上ですが、PTAの役員・委員が全てスムーズに決まったことって、一度もありません。

立候補される委員って だいたいは決まっていて、それ以外の委員は決めるのにかなりの時間を要しますよね。そんなとき、「PTAなんていらない」って心の底から思います。 

だって私含め、皆さんやりたくないから立候補しないんですよね? だったら、やらなきゃいいんじゃないですか? なのに、くじで無理矢理決めるのって、最悪です。PTAはボランティア活動と変わらないのに、強制的にやらせるなんて、最低最悪です。

立候補があれば別ですけど、立候補のない委員は、その年は「なし」じゃ駄目なんですかね。……駄目なんでしょうね。理由はよくわかんないけど。 

その② PTAのお手伝いが集まらなくて、再度募集が掛かったとき

これは、その①とだいたい同じですが、PTAのお手伝いが集まらなくて、再度募集を掛けているのをみたときには、「もう諦めたら?」って思いました。だって、再募集ですよ? みんなやりたくないんですよ。 

ちなみにうちの学校で、毎年、再募集が掛かるお手伝いは、夏祭りのお手伝いです。あれって、確かに子どもたちは楽しそうなんですが、大人側はあんまり乗り気ではないですよね。誰だって、夏の超暑い時期に鉄板の上で、焼きそばなんて焼きたくありません。せめて、焼きそばの出店だけでも、やめればいいのに。

あとは、お手伝いとはちょっと違いますが、運動会のPTA競技とか再募集が掛かります。この話はこちらでも詳しく記事にしています

ちょっと考えただけでも、割とありますね、再募集。ほんと、やめればいいのに。 

その③ PTAの仕事をしていて、わが子の活躍シーンを見逃したとき

これは、学校公開や学芸会の受付とか、運動会のお手伝いとかで、わが子の活躍シーンを見逃したときに「PTAのあほーーー!!!」って思いました。  

基本的に学校公開の受付している間は、わが子の姿を見ることは叶いません。今この瞬間に、わが子が手を挙げて発表しているとしても、その姿を拝むことはできないのです。まぁでも、学校公開なら年に何度もあることなので、まだ許せます。 

許せないのは学芸会や運動会のお手伝いです。これらは確かに、わが子の「出番に当たらない」ようにシフトが組まれているのですが、「出番に当たらない」ようになっているだけで、割と「出番の直前まで」シフトが組まれています。出番の直前までシフトを組まれたんじゃ、わが子の重要な活躍シーンを撮影する事はできません。

よく考えてみてください。皆さん、学芸会や運動会で、わが子の活躍シーンを撮影するときって、出番の直前に撮影ポイントに移動しますか? 前もって、撮影ポイントに移動しませんか? 前もって撮影ポイントの後列に並んでおいて、わが子の出番になったら、前列と入れ替えって感じじゃありませんか? 

うちの学校は小さいので、学芸会や運動会の撮影は、学年ごとに前列と後列で入れ替えをします。PTAのアナウンスに従って、確かに、前列と後列は入れ替わるのですが、直前になって撮影ポイントに移動しても、最前列で撮影することはできないのです。私は最前列で撮影したいんです。2列目じゃなくて!! 最前列で!! わが子の年に一度の活躍シーンを最前列で撮影できないなんて、超最悪です!!!!

というわけで、学芸会と運動会のお手伝いは1年生にやって以降、やっていません。もう二度とやりません。 

その④ PTAの仕事をドタキャンされたとき

これは、学校公開の受付をドタキャンされたときに「学校公開の受付っていらなくない?」って思いました。ただでさえやる気のないPTAのお手伝いです。ドタキャンされたら、さらにやる気を失います。この話はこちらでも詳しく記事にしています。  

その⑤ PTAの活動が「子どものため」ではなく「学校の先生のため」に行われたとき

これは主に、運動会や学芸会、学校公開などの、来賓受付をやった際に「これってPTAの仕事なの?」って思いました。 ここでいう来賓って、どちらかというと、「子どもたちにとって」の来賓ではなく「学校の先生にとって」の来賓だと思うのです。この問題についてはこちらでも詳しく記事にしています。 

私は、PTAの仕事は本来、「子どもたちのため」にあるべきであって、「学校のため」にあるべきではないと思うのです。「学校のため」は、しいては「子どもたちのため」に繋がるのかもしれません。ですが、このことは私にはどうしても、もやるのです。 

その⑥ PTAの仕事のせいで、わが子との時間が減ったとき

これは、とあるPTAの仕事のせいで、子どもの習い事の送り迎えをしてあげられなかったときに、「わが子よ、ごめん」って思いました

いずれは、親から手の離れていく子どもですが、まだ親が必要なときに、まだ親が必要とされているときに、子どもの手をとってあげられないのは、親としても、子どもとしても、つらいものです。私は子どもを犠牲にしてまで、PTAの仕事はしたくないです。 

まとめ

今回は私が、PTAなんていらないと思った6つの瞬間についてまとめてみました。また今後「PTAなんていらない」と思った瞬間があれば、随時付け足していきます。